東海道歩き(三島→沼津→原→吉原)

三島~沼津

前回の終点であった三島広小路駅から歩き始めました。

常夜燈

1846年建立されたそう。
立派な常夜燈でした。

玉井寺一里塚

復元ではなく原型だそうです。

沼津一里塚

日本橋より30里だそうです。

沼津海岸沿いの道

川沿いの道が整備されており、非常に歩きやすかったです。
川に反射した橋やビルの光景が美しかったです。


沼津~原

海岸沿いの道~首塚

この間に沼津宿の本陣跡があったそうですが、道を間違えてしまい行くことが出来ませんでした。


首塚

東海道ではなく並行して通っている千本松原を通ることにしました。
その入口には割と怖めな話が残っている首塚が建っていました。


千本松原

進んでも進んでも松ばかりでした。
千本松原というものの、千本以上は確実にありました。
私は4km地点まで行ったところで喉が渇いたため右に並行して通っている車道に出ました。



海風によって、傾いてしまった松もありました。


原~吉原

千本松原~原駅

富士山が綺麗でした。

原宿西木戸跡

原駅手前の踏切を渡り旧東海道に戻りました。
原宿の本陣は、旧東海道で原駅よりもう少し手前にあったそうで、素通りしてしまいました。
更地になっていましたが、西木戸跡を写真に収めることが出来ました。

原の一里塚

民家の庭にあり敷地に入っていいのか分からなかったため、外から撮らせてもらいました。
江戸から32里目だそうです。


原宿の道

誰かの像が建っていました。

富士山の美しさが限界突破していました。


間宿 柏原本陣跡

面影は全くなかったです。

増田平四郎像

天保の飢饉などで村を救うため、排水路の土木工事を行った人だそうです。

沼田新田の一里塚

江戸より33里目だそうです。

河合橋

吉原駅からすぐのところにあります。
沼川には船が何隻も停められていました。

河合橋~

工場が多くありました。
富士山が相変わらず大きく見えました。


依田橋村の一里塚

江戸から34里目だそうです。
一里塚のモニュメントがかわいい!


名勝左富士

江戸から京にかけて富士山が左に見えるのはココと南湖だけだそうです。
言うほど左でもなかったし、工場に遮られており眺めとしては良くはなかったです。
現代では特に期待すべき場所ではないのかなと思いました。


平家越碑

1180年の富士川の戦いで平家がここに陣をとったが、水鳥の羽音を敵の奇襲と勘違いし京まで逃げたとされる場所。


吉原~

吉原商店街

かなり大きい商店街でした。
夜の店が多いのか、大部分の店はシャッターが閉まっていましたが、Google Mapsを見る限りだと営業している店も多そうです。
私が今まで見た商店街のなかでも上位の規模の商店街でした。


本陣跡

吉原宿の本陣跡は4つほどありますが、すべて現在経営されている店になっています。
この日はシャッターが下りていました。

旧東海道跡碑


富士駅

この日は蒲原宿まで行かずに富士市で旅を中断しました。
そのため東海道から富士駅まで歩きました。
富士市中心街は公園や文化施設があり、子連れが多かったです。
富士山がよく見え、ところどころ良い撮影場所がありました。
それだけに雲がかかり、山頂が見えないのが残念でした。