東海道歩き(府中→丸子→岡部→藤枝)

府中→丸子

安倍川駅

前回の終点であった安倍川駅からスタートしました。
安倍川駅は静岡駅から1駅のところにあります。

東海道の松並木

安倍川駅を出て丸子宿方面に行くと松並木があります。

丸子→岡部

丸子宿

丸子宿の本陣跡などがあります。
碑のみが残っており、宿場感は全く無く普通の民家の集まりといった町でした。





丁子屋

とろろが名物の丁子屋があります。
混んでいなければ食べていこうと思っていたのですが、開店前15分の10:45でかなりのお客さんが並んでいたため寄らずに先に進みました。

chojiya.info

丁子屋→岡部バイパス

丁子屋の向かいにある丸子橋で丸子川を渡り岡部バイパスへと合流するまで進みました。
丸子橋を渡るとすぐに高札場があります。

少し行くとラブホ街がありました。
突如田舎にラブホ街が現れ、かなり異質な光景でした。
バイパスが出来る前は栄えていたのでしょうね。

岡部バイパス

庚申塔を目処に静清バイパスに出ていきます。




コンビニがあります。
岡部宿まで道の駅くらいしか無いのでここで軽食を買っておくとよいかと思います。
後ろに見える道が滑り台みたいで面白かったです。



赤目ヶ谷西歩道橋にて道路を渡ります。
丸子川と平行に歩いていきます。



道の駅 宇津ノ谷峠 (静岡側)

上りは大きそうでしたが、私が行った下りの施設はトイレのみでした。


宇津ノ谷トンネル

バイパスの宇津ノ谷トンネルが見えます。


ここを右に曲がると明治のトンネルがある方に行くことができます。


宇津ノ谷トンネル→宇津ノ谷

少しの坂道を登ると分かれ道があり、左に行くと宇津ノ谷の町があります。






蕎麦処きしがみ

宇津ノ谷峠に続く階段を正面にして右折すると、蕎麦屋があります。
お客さんがたくさん入っていました。
先ほどの丁子屋に比べると待ち人数が少なかったため並んで入りました。



冷やしとろろの十割蕎麦と蕎麦団子というものを食べました。
とろろは美味しかったのですが、自然薯のとろろを食べたことがある身としては自然薯のほうが美味しいと思ってしまいました。
蕎麦団子は米で作った団子より粘性の無い団子といった感じでした。
どちらも美味しかったです。


広めで眺望の良い席に通してもらえ非常に満足でした。

宇津ノ谷

旧東海道及び明治のトンネルの方面に行くには階段を上ります。



旧東海道

旧東海道は階段を登ったあと右に行きます。
明治のトンネルを通りたかったため左方面に行きました。


明治のトンネル

明治時代に作られたトンネルだそうです。


電灯の場所によって様々な顔のトンネルの顔を伺うことができました。
一説によると静岡県の心霊スポットの一つだそうですが、怖さは全く感じませんでした。
むしろ地面にクッションが入ったような素材が使われており非常に快適で落ち着くといった印象でした。





トンネルの外に出るとごつい岩肌があり迫力がありました。



宇津ノ谷峠



先ほど行かない選択をした旧東海道と合流します。
先ほどの入口からここまで300mほどだと思うので、正直引き返しても良かったですが、面倒だったのでそのまま進みました。

合流地点を右に進むと旧東海道の続きに入れます。
かなり勾配のキツイ坂がありました。


宇津ノ谷峠の出口です。
右に行くと東海道で、左に行くとつたの細道という平安時代の道に行けるようです。
つたの細道は道の駅宇津ノ谷峠(静岡側)に続いているそうです。

道の駅 宇津ノ谷峠(藤枝側)

藤枝側の道の駅宇津ノ谷峠があります。
コーヒーを買って中の休憩スペースで休憩しました。


道の駅 宇津ノ谷峠→岡部宿

山間の岡部川沿いを歩きました。


岡部→藤枝

岡部宿

旅籠 柏屋

旅籠の柏谷は資料館になっています。
入場料は300円でした。

中には当時の旅籠の様子を再現した人形や岡部宿や東海道の資料が展示されていました。









1泊の料金は現在の価格で5000円ほどだったそうです。
最初これを聞いたとき、ビジホくらいの価格で以外と安いなあと思っていましたが、六畳に15人ほどが詰めて寝ていたそうで

また、イベントで等身大のひな人形も展示されていました。
ひな人形には関東風と京風があり、関東風は向かって左側に天皇陛下、右側に皇后陛下が配置されているそうです。
現在の皇室でもこのように並ばれているそうです。
あまり意識して見たことは無かったので、次回以降注目してみたいと思います。

旅籠の土間に設置されているようで、左側は釜戸の上に太鼓を置いているようです。
また、男雛の下には井戸があるそうです。
当時は井戸は旅籠の外にありましたが、立て直しにつき土間の中に井戸ができたそうです。



京風のひな人形もありました。
京風は大正時代以前の並び方なので関東風と左右逆になっているそうです。
関東風は大正天皇が西洋化を取り入れるために制度化したそうです。
一週間前に京都御所に行ってきたため、「ここにいたんだなあ」という想像が出来て面白かったです。



続いて「みせの間」と呼ばれる部屋についてです。
みせの間は名前の通り「見せるための間」です。
みせの間に旅人の荷物を置き、外を歩いている人が「今日は何人くらい泊まってるんだろう?」と判断できるようにする機能を持っているそうです。
宿泊者が多いようですと、宿泊費は同じにも関わらず一人当たりの専有面積が減ってしまうため快適に過ごすことができません。
そのため次の藤枝宿まで歩く判断をしたそうです。




続いて「大戸」についてです。
大戸は旅籠の入口で、この旅籠は大戸を天井に掛けるタイプの珍しいつくりをしていたそうです。
重い戸を何度も天井に吊るすことは難しいので戸の中には襖のような小さい戸があり、そこから出入りできるようになっています。


柏屋の裏には立派な庭があります。


本陣跡

本陣跡は更地になっており、井戸と門のみが残されています。
また、隣に岡部宿公園が併設されています。



本陣→横内




東海道岡部宿の松並木




横内





「あげん台」と呼ばれる先祖を供養するためのモニュメントが設置されていました。

横内橋を渡ります。



車道に挟まれた面白い歩道がありました。
緑の部分を自転車で走っている人がいました。

久しぶりに東海道の距離標識を見ました。
神奈川県の小田原までは頻繁にあった気がしますが、静岡県になってからあまり見ませんでした。

住宅街を通っていきました。
途中JungleGYMというパルクールを教えている施設がありました。

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鬼島一里塚跡

日本橋から49里目だそうです。


葉梨川

旧東海道と平行に通っている川沿いの道を歩きました。
痴漢やポイ捨てなどを警告するような看板が多いように感じました。
この辺りは治安が悪いのでしょうか?



水守中央公園

大き目の公園があったのでトイレとベンチで休憩をしました。
東海道を感じさせる松が植えられていました。


水守

水守中央公園を出ると島田岡部線という4車線道路を渡り東海道に入ります。


さわやか通り

商店街が現れます。
この商店街の通りはかなり長かった気がします。

歩いているうちに日が暮れてしまいました。

史跡や寺社が多くありました。


藤枝

藤枝宿

下本陣跡

さわやか通りを進むと藤枝宿の下本陣跡があります。
道路のマークのみで何も残っていませんでした。


上本陣跡

上本陣は下本陣から数十メートルのところにあります。
こちらも下本陣と同様に跡は残っていませんでした。


問屋場

問屋場跡の看板が交番に備え付けられていました。
交番前で写真を撮るのは不審者に見えるので若干気まずかったです。

勝草橋

通りを抜け瀬戸川を渡る際に本当の意味での「レインボーブリッジ」を見つけました。
あとで調べると「ふれあい大橋」という橋だそうです。


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志太一里塚

日本橋から50里目だそうです。
一里は3.9kmなので、200kmくらいです。
実際には寄り道や迂回などをしているため、200km以上は歩いています。



藤枝駅

この日は藤枝駅で旅を終了しました。
夜の藤枝駅前街は音楽が流れており、夜の街といった雰囲気でした。