名古屋
今回の旅は鈴鹿峠を越えることもあり、早朝に関宿から出発したかったため前日に新幹線で名古屋駅まで行きました。
始発のJR関西本線に乗ると関駅に7時12分に着くことができます。
この写真は早朝のほとんど人がいない名古屋駅の写真になります。
関宿
早朝の関宿です。
前回の旅では、関宿名物関の戸や志ら玉を食べることができなかったので、今回の旅で買おうと思っていました。
しかし、7時台はまだ店が開いておらず、結局食べることはできませんでした。
前方にこれから越える鈴鹿峠が見渡せます。
関宿→坂下宿
ここで旧道と新道が分岐します。旧道のほうは鈴鹿峠を越えるまで車通りの少ない道路になります。
鈴鹿馬子唄会館には、東海道53次の宿場町の名前が入った標柱が建っています。
いくつかの宿は標柱が無くなっていました。
坂下宿
旧道を進んでいくと、坂下宿の通りに入ります。
関宿の名物であった志ら玉は坂下宿にある工場でつくられているそうです。
法安寺の玄関は松屋本陣の玄関を移築したものだそうです。
身代り地蔵と呼ばれている首が無い地蔵がありました。
この地蔵は大名行列を横切ってしまった子供の代わりに身代りとなって首が無いようです。
坂下宿→土山宿
片山神社入口があります。
この辺りは、完全に山道となり箱根を思い出させられます。
ただし箱根よりは歩きやすかったです。
片山神社は山奥にある神社としてはかなり立派な神社でした。
片山神社を横切り、ひたすら登っていきます。
そして鈴鹿峠を抜けると伊勢と近江の境があります。
県境の側には万人講常夜灯と呼ばれる重さ38トン、高さ5.4メートルの自然石で出来た常夜灯があります。
滋賀県の忍者の町甲賀市に入ります。
再び新道の歩道を歩きます。次の土山宿前までは再びこのような道を進んでいきました。
山中一里塚跡は江戸から109里目の一里塚です。
山中一里塚を少し過ぎると、道の駅あいの土山があります。
新道から再び旧道に分岐します。
この辺りは、昔大きな蟹が旅人を苦しめたことから蟹が地名の由来になっているそうです。
海道橋を渡ると、高札場跡や田村神社があります。
田村神社は鈴鹿峠の山賊を退治した坂上田村麻呂を祀っている神社だそうです。
田村神社を過ぎると逆方面の「道の駅 あいの土山」があります。
団子を3本買いました。みたらし団子が最も美味しかったです。
土山宿
土山の一里塚跡です。
江戸から110里目だそうです。
土山宿には至るところに旅籠跡の碑が立っていました。
土山宿の本陣跡です。
土山宿→水口宿
土山宿を出ると、国1に並行するかたちで旧道を歩きます。
市場一里塚です。日本橋から111里目の一里塚です。
国1を渡ります。
歩道橋がありましたが、階段を登る余力が無かったため押しボタン式の信号を待ちました。
歩行者信号が青になるまで5分以上かかったので、歩道橋を使っておけば良かったなと思いました。
東海道土山宿碑がある場所で再び国1を渡ります。
一里塚を見るためだけに右の坂を登ります。
今在家一里塚です。日本橋から112里目です。
夕暮れになってしまいました。
岩神社を過ぎて右に曲がります。
電灯が宿場町っぽくなってきました。
水口宿
水口宿の東見附です。
脇本陣、本陣です。
この写真に写っているどれかのはずですが、詳しくはわかりませんでした。
水口宿はここから3つに分岐するようです。
私は一番北側(右)を進みました。
途中、史跡のようなものがありましたが、夜だったので調べてはいません。
この日は水口センチュリーホテルに泊まりました。
前にアル・プラザ水口があり、安くお弁当などを買うことが出来て良かったです。