5/19に浜松宿から吉田宿まで歩きました。
その時の記録を記します。
浜松〜舞阪
浜松駅
今回の歩き旅の出発地点は、前回の歩き旅の終点であった浜松駅から始めました。
浜松宿本陣
浜松駅を出てすぐのところに本陣跡があります。
浜松宿は家康が20-45までの19年間を過ごしたこともあり非常に大きい宿場町だったそうです。
本陣の数は6個あり、箱根宿と並び東海道の中で最大の数を誇ったようです。(※1)
佐藤本陣跡
杉浦本陣跡
杉浦本陣は最も歴史があり、敷地面積900平米を誇ったそうです。
川口本陣跡
梅屋本陣跡
若林の一里塚
江戸日本橋より66里目だそうです。
二ツ御堂
明治天皇御野立所記念碑があります。
可美公園
旧東海道から道を一つずらして可美公園で休憩をしました。
トイレもあり、屋根付きベンチもあり歩き人にとって大変助かる施設でした。
麦飯長者跡
小野田五郎兵衛(おのだごろべえ)という人物が旅人に麦飯をふるまっていたそうです。
麦飯を振るまった結果、姓がもらえたそうです。
本陣経営者でなくても、本陣と同じような振舞いをしていると姓が貰えたようです。
夢舞台東海道篠原道標
これより旧道と新道に分かれます。
まっすぐ行くと、舞浜宿まで一本道の旧道が続きます。
立場本陣跡
明治天皇東幸の際に休憩されたそうです。
篠原の一里塚跡
江戸日本橋から67里だそうです。
長池松並木
1712年には1420本の松が植えられていたそうですが、現在では340本しか残っていないようです。
舞浜〜新居
舞阪宿碑
松並木を抜けると新道と再び合流します。
横断歩道を渡ると舞阪宿の通りに行くことができます。
東見附跡
見附石垣が残っています。
舞浜宿の東口だそうです。
舞阪の一里塚跡
江戸日本橋から68里目だそうです。
本陣跡
舞坂宿の本陣跡です。
東海道の中でもかなり大きな浜松宿の隣だったためか本陣数は2つだけだったようです。
脇本陣
受付の方が大変親切で新居宿までのオススメルートを教えてくださったり世間話をさせていただきました。
弁天神社
いよいよ海が見えるようになりました。
昔は今切の渡と呼ばれる水路でしたが、現在では埋め立てや橋が掛かっており、陸路で進むことができます。
舞浜宿脇本陣の受付の方が海沿の道をオススメして下さったので、本来の東海道から一本ズレて歩きました。
西浜名橋歩道橋
左に車道、右に新幹線の線路があります。
新居〜白須賀
高札場跡
法度や掟を木の札に書き、掲示しておいたものです。
本陣跡
新居宿は本陣3、脇本陣0、旅籠26だったそうで、身分の高い団体はそこそこ泊まるが庶民は泊まらない場所だったのでしょうか?
新居宿よりも旅籠の数が少ない宿としては、原、鞠子、亀山、石薬師、庄野だったようです。
まんじゅや
水まんじゅうを食べました。
暑いときに食べたので最高でした。
manjuya-arai.com
新居の一里塚
日本橋から69里目だそうです。
西棒鼻跡
木戸や見附、曲尺手を宿の堺にしている宿場町は見てきましたが、棒鼻と呼ばれる施設を堺にしている所は、おそらく初めて見ました。
宿場の境界には棒杭が立っていたところからこのように呼ばれたそうです。
白須賀〜二川
白須賀の一里塚
江戸日本橋から70里目だそうです。
潮見坂
この坂を見たとき、東海道で二番目に絶望感が漂いました。(一番は小夜の中山で道を間違えたとき、三番目は浜松で帰りの電車に乗り遅れそうだったことかなあ。)
確かに、箱根峠などに比べれば距離は短かかったですが、浜松からここまで歩いてきた疲れと、これから吉田まで行かなくてはいけない焦りに加えて、予備知識なしでこの急な坂を目にしたことによる絶望感はハンパなかったです。
京方面から来ると、はじめて太平洋を臨める景勝地として有名だったそうです。
太平洋の景色としては、興津宿や舞阪宿の方が眺めが良かった気がしますが、初めてこの景色を見るということを考えると確かに感動は凄かったことだと思います。
おんやど白須賀
潮見坂を上りきるとおんやど白須賀があります。
この時点で17時を過ぎていたため、中に入ることはできませんでした。
潮見坂公園
明治天皇に関する碑があります。
左奥に展望台がありましたが、地元の人がいたので撮影は控えました。
白須賀の宿場町に入っていきます。
本陣跡
白須賀は本陣1, 脇本陣1, 旅籠27のやはり小さな宿場町だったそうです。
本陣の札が倒れているのがやや残念でした。
脇本陣跡
二川〜吉田
二川の一里塚跡
江戸日本橋から72里目だそうです。
二川宿の宿場町は当時の面影を残しており、夜に歩くのも趣深かったです。