吉田~御油
きく宗
「菜飯田楽」と呼ばれる料理を提供しているそうです。
ja.wikipedia.org
吉田宿碑
江戸まで73里、京まで52里だそうです。
東海道の半分の地点である袋井宿では、京の存在をあまり実感できませんでしたがここまで歩くと、いよいよ京かという気持ちになります。
豊橋
町の名前の由来となった橋だそうです。
下地一里塚
日本橋から74里目だそうです。
ここから後に記述する高橋までひたすら一本道を歩きました。
途中には瓜郷遺蹟なる弥生時代の史跡がありました。
高橋の手前には豊橋魚市場がありました。
鮮魚店や飲食店、包丁などを扱う金物店がありました。
ただ、休日の朝だったからか、閉まっている店が多く活気はありませんでした。
高橋
夏にこの橋を渡るのはオススメできません。
草で歩道がありませんでした。
一本右の新道の橋を渡ることをオススメしたいです。
子だか橋碑
「子だが止むを得ない」という悲しい伝えがありました。
兎足神社には祭の際に、最初に橋を渡る女性を生け贄にする習慣があったそうです。
ある年の祭で、最初に渡ったのが我が子だったそうですが、「子だが止むを得ない」という理由で娘が生け贄になることを承認したそうです。
その言い伝えから「子だが橋」という名前が付いたそうです。
菟足(うたり)神社
昔は娘を生け贄に捧げていたようですが、現在では雀12羽を生け贄に捧げているようです。
不老不死を求めた秦の始皇帝が日本に遣いを派遣し、その遣いがこの地に定住し菟足を建てたそうです。
秋葉常夜燈
1808年建立の常夜灯がありました。
名残松があったそうですが、現在は伐採されていました。
立場茶屋跡
迦具土神社
伊奈一里塚
江戸日本橋から75里目だそうです。
サツキ公園
屋根付きベンチ、トイレのある非常にありがたい公園でした。
速須佐之男神社
近所の子供たちのたまり場になっていました。
農道
白鳥5丁目西からは新道を横断し農道に入ります。
農道というと田舎のイメージがありますが、名鉄線が走っており異質な感じがしました。
踏切を渡り、再び新道を地下道から横断し御油の町へ入っていきます。
常夜灯
1800年建立だそうです。
薬師堂
大社神社
旅籠大津屋跡
なまこ壁が美しい建物でした。